フットボール デイズ

日々学び成長したい。ジュニアサッカーの保護者・審判・コーチそれぞれの立場から、自分が思うことを書いてます。

平等と公平

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[平等]
平らに等しいこと。偏りや差別が無く、みな等しいこと。
(例)「食べ物やお金を平等に分け与える」、「死は誰もが平等に訪れる」など。

[公平]
公に平らなこと。判断・行動に当たり、いずれにもかたよらず、えこひいきしないこと。
(例)「公平な裁判」、「公平なジャッジ」、「公平を期する」など。


平等は、努力や結果、才能や性別などに関係無く、全ての人を同じに扱うということ。
公平とは、それぞれの努力や結果、実力や個性に合わせて評価をするということだと思う。

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ジュニアサッカーなら、「チャンスは平等、評価は公平に」というのが大切で、全員に平等にチャンスを与え、そのチャンスの中でそれぞれが努力し、その努力を公平に評価していくということを心掛けることが必要になってくる。ただ、それは本当に、本当に難しいことだと思う。
サッカーは野球のように打率とか防御率とか個人の結果が数字になってあらわれにくい。Aコーチから評価されている選手が、Bコーチからは全く評価されないということもあるだろう。出場時間の差、練習の参加率など、考えなければいけないことは多い。
お父さんコーチの場合は、自分の子供がチームにいると言うことも難しい問題となる。(僕の場合は、子供がいる学年の采配には関わらないようにしてはいるが・・・)

コーチと子供達の間で、選手の評価が異なることもある。コーチから評価されている子が、子供からはあまり評価されていなかったり、その逆もあると思う。子供は他の子の練習態度や学校での言動を近くで見て子供同士を評価していたり、冷静にランク付けをしていることだってある。

 

例えば全くサッカーの実力が同じ選手がいたとしたら、普段の練習態度だったり、より努力している選手の方がチームメイトからの信頼は大きくなると思う。試合の大事な場面でミスしたとしても、チームメイトからの信頼度が大きい選手の方が、そのミスをほかのメンバーは「あいつのミスなら仕方が無い」と受け入れ、ポジティブな気持ちで次に向けて前を向けるだろうし、コーチは実力以外のそういった部分(努力している姿勢や信頼度)も見ていく必要がある。

 

また、コーチは選手の実力や個性に合わせてそれぞれの選手に対し、要求する負荷を変えたり、声かけの内容を変えるということも公平な評価・フィードバックと言えると思う。

サッカーに絶対の答えは無いし、少しでも納得感の高い最適な答えに近づけるように、コーチとして謙虚に努力していかなければと思う。

 

「今から一次試験だ。合格できたやつはよろしく頼む。受からなかったやつは、それを糧にして、ひと回り大きな選手になり、見る目のなかった俺たちを見返してくれや。」

(福田達也・アオアシ

 

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ジュニアサッカーと罰走

令和の時代に入っても、ジュニアサッカーの現場では未だに理不尽な練習を強いるチームがある。

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「水を飲むな!気合いが足りないから喉が乾くんだ!」というようなチームはさすがに無くなったと思うが、試合後に罰走をしているチームを見かけることはある。

まず、若い頃サッカーをしていたコーチが、「あの頃の辛い練習があるから今があるんだ」と自分自身の経験を肯定し、間違った情熱で子供達に同じように理不尽な練習を強いているケースが多いと思う。
(理不尽なことに耐える力をつけることで、ブラック企業で働き続けるメンタルは身につくのかもしれないが・・・)
「昔からずっとやってるから必要な練習なんだ」、「最近の子は厳しい練習をしないから気合いが足りないんだ」と信じていたり、練習量は多ければ多い程良い、苦しければ苦しい程良い練習だと思っているケースもある。
今までの自分の経験や常識を否定するのが怖いのかもしれない。

 

子供達が罰走をしているグラウンドの横には応援に来ている保護者達が黙ってその様子を見守っていたりする。
コーチは「お前らのことを思ってやっているんだぞ」と声を上げている。
罰走をしている子供達を見て、コーチは自分の影響力がチームに及んでいることに満足しているのかもしれない。


★罰走について、中学生時代の中田英寿さんと当時のコーチとの有名なエピソードです。

あるとき皆川は、試合に負けた選手たちに、罰走としてダッシュ50本を命じる。

だが中田は「走る理由が分からない。オレたちだけが走らなければならないのは納得できない。皆川さんも一緒に走ってくれたらオレも走る」と反論したという。

「私が、ふざけたことを言うなと殴りつけていたら、果たして中田英寿という個性は、世界に羽ばたくことができたでしょうか。そう思うと、私は時々ぞっとすることがあるのです。」
やがて皆川は、ドイツへ渡り、指導者としての研鑽を積み、帰国後にジュニアユース以下のクラブチームを立ち上げるのだった。


「それでも「美談」になる高校サッカーの非常識」(加部究

この皆川さんというコーチは、当時、中学生だった中田少年の意見を受け入れて自分も罰走に参加し、自分で走ってみたら20本でダウンして、そこで罰走は終了したのだという。またそのことをきっかけに、ドイツに渡り指導者として学び直したという姿勢は本当にすごいと思う。

 

罰走の理由が”敗戦の責任を取る”ということなら、その責任は監督やコーチにもあるのだから、コーチも走るべきだ。中田少年は正しい。中田少年の意見を受け入れた皆川コーチもすごいと思う。
「君達の勝利、我々の敗北」と考えるのが監督やコーチであると僕は思う。
”気合いが足りないこと”が罰走の理由なら、選手に”気合い”を入れられなかったモチベーターとしてのコーチの責任だし、メンタルトレーニングに取り組んでこなかったコーチの怠慢・準備不足だから、やはりコーチも一緒に走るべきだ。

 

ただ、この時の中田少年のように毅然とした態度でコーチに対し自分の意見を伝えられる小中学生の選手はほとんどいないだろう。
そして皆川コーチのように選手の意見を受け入れ、自分自身を振り返り、反省出来るコーチもなかなかいないと思う。

保護者も、コーチに対しきちんと意見を言える方は少ないと思う。
「自分の子供を預けているから」、「ボランティアで指導してくれているから」と、理不尽な指導があっても卒業まで我慢し口を噤んでいる方が多いだろう。
「うちの子は厳しく怒鳴りつけて育てて下さい」というような保護者の方も時々いる。
だけど僕は、子供達の体と心が傷ついているのに黙って見ているのは間違った判断だと思うし、コーチが間違った判断をしているのならば、保護者とコーチが落ち着いて話し合う機会を作るべきだと思う。もしかしたら、保護者も一緒に罰走に参加するという方法もあるのかもしれないとも思う。

 

試合後に行う罰走など、強い負荷を与えるだけのオーバートレーニングは、筋繊維や関節、心肺機能を傷つけるだけの無意味なもので、トレーニング効果は全く期待出来ない。
特に成長途中の小・中学生の場合、オーバートレーニングや過度な精神的ストレスは体や脳の発育に影響を及ぼしてしまう。

体は栄養と休息と最適な強度のトレーニングによって、強くなっていくものだ。
また試合後の罰走があるから、無意識に体力を温存しようとして試合に全力で取り組めないという弊害も出てくるだろう。

 

子供達は成長と停滞、勝ったり負けたりをくり返しながら、ゆっくりと成長していく。
今日の結果だけに捉われるべきではないし、今日の結果を大人のモチベーションにしてはいけない。

 

来年はジュニアサッカーから罰走が無くなることを願って

 

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当たり前の反対は

この一年、新型コロナウィルスの影響により世界が変わってしまった。
今まで当たり前と思っていた日常が失われ、子供達は当たり前だった学校に行けず、サッカーが出来ない日々を経験した。


今日と同じように明日が来ることは当たり前じゃないし、サッカーが出来ることも当たり前じゃないと気付いた。
たとえコロナが終わったとしても、今、サッカーが出来ることは当たり前なんかじゃない。

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当たり前の反対は有り難し。
「有る事が難しい」と書く。
ありがとう[感謝]のことだ。

 

サッカーは一人では出来ない。
チームメイトがいて競い合う相手がいて、審判がいて監督やコーチがいる。
会場予約や連絡調整、会計など、多くの人の協力があって初めてサッカーが出来る。
送り迎えをしてくれるお父さんや、おにぎりを作ってくれるお母さんの協力もあると思う。
それは当たり前のことじゃない。

 


サッカーをしている君へ。
サッカーが出来る今日という日は当たり前じゃない。
君がここにいることも当たり前じゃない。
君は多くの人に支えられて生きている。

 

そして君も誰かを支えている。
君が生まれてきたから、お父さんやお母さんになれた。
君がいるから、コーチとして頑張れた。
君の頑張っている姿を見て、励まされ勇気をもらった。
そこに君がいるから。

 

仲間のことも家族のことも、支えてくれるみんなのことを大切にしよう。
そしてそれと同じように自分自身のことも大切にしよう。

 

君がいること、みんながいること、それは当たり前じゃないんだから。

 

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年とともに

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真面目な顔で話してただけのつもりなのに、「何か怒ってたの?」と言われることがある。
ただ歩いていただけなのに、「ダイエットですか?」と聞かれるぐらい、けっこう切ない感じになる。
年とともに顔のシワが深くなり、頬の弛みとともに口角が下がってくるからだろうか。。。
アラフォー・アラフィフあるあるかもしれない。

 

子供がサッカーを始めたばかりの頃は、若いお父さんみたいな気で張り切っていても、その子供が中学へ行くぐらいになるといつの間にか、いい感じのおじさんになっているものだ。

 

明日から意識して口角上げて笑顔を作っていこう。
唇がカサカサだから、笑った時に唇が割れて出血しないようにリップクリームを塗っておこう。
うさん臭さが出ない程度の笑顔を心掛けよう。。。

がんばろう!

僕と同世代のおじさん達!

Smile Again!!

 

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グッドルーザー

昨年のラグビーワールドカップでは、ノーサイドと言う言葉が話題になり、勝っても負けても全力を尽くして戦ったもの同士、お互いを讃え合う姿が日本中に感動を与えた。

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負けた試合で一番悔しいのはもちろん選手だ。

ワールドカップまでの期間、人知れずどれだけの汗と涙を流してきたのか。

どれだけの時間、どれだけのことを犠牲にして、傷だらけになって戦ってきたのか。

その苦しみを知っているからこそ、負けたとしても全力で戦った相手のことをリスペクトし、相手の勝利を讃えられるのだろう。

 

負けた時に相手を認める気持ちを持てない選手やチームは、仲間のミスを責めたり、審判の判定に敗因を求めたり、負けた言い訳を自分以外のことに求めて、自分自身に目を向けられないことが多い。

「あいつのミスのせいだ」、「あのシュートをGKが止めていたら」、「あれはオフサイドだった」、など、ジュニアサッカーでも、試合後の反省会や打ち上げで犯人探しをしてしまうチームがある。

たとえ誰かのミスがあったとしても、審判の判定が間違っていたとしても、試合の結果は変わらない。

選手もコーチも、まず自分自身に目を向けることが大切だ。

自分自身から目を逸らし、他に敗因を求めていたら、敗戦から学び成長する機会は失われてしまうだろう。

 

全力を尽くした自分と仲間と相手を認め、リスペクトすること。

出来なかった自分、足りなかった自分を認め、受け入れること。

同じように全力を尽くして戦った相手の努力を認め、その健闘を讃えられること。

 

どんな状況でも最後の笛が鳴るまでベストを尽くし、勝った時も相手を思いやり、負けた時も誇りある態度で敗戦を受け入れる、そんな選手を目指そう。

  

「胸を張って生きろ

己の弱さや不甲斐なさに どれだけ打ちのめされようと 心を燃やせ

歯を喰いしばって前を向け

君が足を止めて 踞(うずくま)っても時間の流れは止まってくれない

共に寄り添って悲しんではくれない

竈門少年 猪頭少年 黄色い少年 もっともっと成長しろ

そして今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ

俺は信じる 君たちを信じる」

(煉獄杏寿郎・鬼滅の刃

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意見の食い違いから学ぶ

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
ヴォルテール・フランスの哲学者、文学者、歴史家)

 
※今回は、福富信也さん(スポーツ指導者)のチームビルディングのセミナーと本から学んだ内容です。

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サッカーの試合では、ピンチとチャンスは紙一重であり、FWとDFなど立場によって見え方・捉え方が違うことも多い。一方向からではなく、別の角度からの意見を聞くことで、自分とは違う視点に気づいたり、新たな選択肢を持つことが出来る。チームや個人の成長のために、自分と異なる意見から学ぶ"オープンマインド"の姿勢を持つことが大切だ。

本当に優秀なリーダーは敢えて自分と違う意見・アイデアを持つ人を近くに置くという話がある。自分に都合の良い意見しか受け入れない人は、陰口を叩かれるだけの裸の王様となり、成長のチャンスを逃してしまう。自分とは異なる意見からも学び、成長に繋げよう。

誰も本音を言わない偽りの平和ではなく、みんなが意見を出し合い、意見の食い違いから学べるチームの方がより強く、成長していける。メンバー同士がそれぞれの違いを認め、みんなの個性を尊重することでチームは多様性を持ち、どんな困難にも適応出来る強いチームになっていく。

★意見を伝える上での約束
①仲間をリスペクトすること
②すべての言動がチームの成長につながっていること

★意見を伝え合う上での注意点
・いろんな意見があり、サッカーにも人生にも絶対の正解は無いことを知ろう
・白黒思考(0か100かの二分思考)に陥らないこと


・価値観が多様化し、常に進化が求められる時代に、サッカーを通じて、柔軟に変化に対応出来る子供、自分の力で(また仲間と一緒に)問題を解決していける子供を育てていきましょう。

 

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毒のある親

※毒のあるタイトルですが、僕も親として自分への戒めを込めて書いてます。

 

毒親とは「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」のこと

(スーザン・フォワード著「毒になる親」)

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・心理学的には「Negative Parenting=ネガティブ・ペアレンティング」と言われる。

 

毒親に育てられた子供は、大人になってもその影響を残し、他者との関係性などにおいて悩みや生きづらさを抱えていくことが多い。

 

[親自身が精神的に自立出来ていないことが、原因になることが多い。]

・自分の寂しさを埋め合わせるため、子供に対し過干渉・過保護になってしまう。

・子供を一人の別人格として認識出来ず、精神的一体感を求めてしまう。

・子育てを自分の自己実現の手段にして、子供を自分の思う通りにさせようとする。 など

 

毒親の特徴]

・暴言、暴力、モラハラ(精神的暴力)、ネグレクト(無視、育児放棄

  →※これは虐待です

・心配性、先回り、過干渉、どんなことにも親が口を出す

・親の価値観の押し付け、条件付きの愛情

・過剰な期待やプレッシャーを背負わせる

・過保護、甘やかし、子供の代わりに親が何でもしてしまう、など

 

子供可愛さから、誰もが毒親になる可能性を持っており、子育てに正解は無い。

大切なことは過去を含めた自分自身を受け入れること。そして、“子供は親の所有物ではなく、親がコントロール出来ない尊重すべき一人の人間であるということ”を受け入れることだと思う。

 

毒親育ちの特徴]

・主体性や問題解決能力、責任感が乏しく、挫折や批判に弱い

・都合の良い自分しか認められず、ダメな自分を受け入れられない

・他者の評価を過剰に気にしたり、常に周囲の期待に応えようと自分を犠牲にしてしまう

・完璧主義、極端な思考・二極思考に陥りやすい

・ストレス耐性に弱く、不安や焦り・イライラを感じやすい

・自尊心が低く、自分に自信が持てない、など

 

 

カーリングアレント

子供が失敗したり嫌な思いをしないように、先回りして障害物を取り除く過保護な親。

 

「ヘリコプターペアレント

上空を旋回するヘリコプターのように、いつも子供の近くで観察、管理、干渉し続ける親。

 

モンスターペアレント

学校の先生やサッカーチームのコーチなどに対し、自分の子供が優位になるように非常識で自己中心的な要求を突きつけてくる親。

 

「身代わりアスリート」

親やコーチが自分が果たせなかった夢を子供に託し、過度な期待とプレッシャーを子供にかけてしまうこと。

 

「トロフィーチャイルド」

子供の成績や学歴を、まるでトロフィーのように自分の手柄・自慢の道具にしてしまう。

 ※トロフィーワイフの子供版

 

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失敗してもいいよ

サッカーは足を使うスポーツで、常に局面が変わり続ける流動的なスポーツだから、どうしてもミスは多くなるし、誰だって失敗する。
ネイマールだって、何回も何回も失敗して上手くなったんだと思う。多分。。
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ジュニアサッカーでは、ミスを極度に怖がる子がいる。
味方のボール保持者から目を逸らして相手の後ろに隠れたり、得意な練習は積極的だけど苦手な練習にはチャレンジしなかったり、ちょっと失敗しただけで泣いてしまう子もいる。

 

元々の性格もあるのかもしれないし、チームメイトからミスした時に文句を言われたとかが原因かもしれない。
学校では優等生で周りの子に失敗を見られるのが恥ずかしいのかもしれない。
また、大人からの”失敗は許されない”という目に見えないプレッシャーを敏感に感じ取ってしまってるのかもしれない。

 

「ここは失敗を恐れずチャレンジ出来る安全な場所なんだ」と子供に感じてもらうことが、チームを作る上で一番基礎になる部分だと僕は思う。
ミスを怖がる子供がいるのは、子供にとって”安全な場所”を作れていないんだろう。反省。。。

 

”失敗を怖がらないで”、”失敗は恥ずかしくないよ”、”失敗してもいいから全力でチャレンジしよう”、”失敗から学ぼう”・・・。

子供達にとって”安全な場所”、”失敗を恐れずにチャレンジ出来る場所”を僕は作っていきたい。

 

「間違いは故郷だ。誰にでもある」
(ぺこぱ・松陰寺太勇)

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伝わる言葉

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5レーンとかゲーゲンプレスとかポジショナルプレーとか、 そういう言葉ってついつい言いたくなるものだ。
僕のようなおじさんになると、 ただ言うだけでもう強豪クラブの監督になったような高揚感を持てたりする。
僕は、戸田さんのサッカー解説の影響で、”オーガナイズ”とか” ボックス”とか、”とは言え” とかをテレビ観戦時に使いがちだ。( そして家族にはウザがられがちだ)
最近は、ペルムータとかサリーダ・デ・バロンとか、 覚えたてのスペイン語をどこかで使いたいなとチャンスを窺ってたりもする。

 

さて普段、僕の目の前にいるのは小学生で、 サッカーをテレビで全く観ない子もいれば、始めたばかりの子もいる 。
低学年の子だと、”幅”とか”高さ”とか”裏” という簡単そうな言葉でも理解出来ていないことが多い。
子供達が黙って聞いているから分かっているだろうと思って言っていても、 後で「コーチは何て言ってた?」と聞くと「 ちょっとよく分かんなかった」ということが結構多かったりする。
(ちなみに僕は昔、 小学1年生の子供達に専門用語で長々講釈し、 みんなにポカンとされたほろ苦い思い出がある。 穴があったら入りたい。)

 

会社で”アジェンダ”とか”スキーム” とかカタカナ用語を連発しても、周りがイラっとするだけだけど、 ジュニアサッカーの現場でコーチの言葉を子供が理解出来ていないのは、子供の成長にとっても良くないし、 コーチの努力も無駄になってしまう。

「何回言わせるんだー、何で分からないんだー」というコーチの怒鳴り声が虚しく響く場面を良く目にするけど、”言葉が伝わってない問題”が原因の一つなのではないかと思う。


言葉は相手に合わせて使うことが大切だ。 1年生の子と6年生の子に使う言葉は変える必要があるし、同じ学年でも言葉の理解度は子供によって全く違う。

コーチの言葉はそれを言うことが目的なのではなく、 相手に伝わり相手に理解してもらうことが目的だと思う。

かっこいい言葉を使っても、相手に伝わらなければ意味が無いのだ。

 

いま目の前にいる子供達に伝わる言葉はどんな言葉だろう?

 

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心が動く時

「人間のパフォーマンスは『何を』、『どんな心でやるか』でできている」

 

  (辻秀一・スポーツドクター)

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試合中、コーチや監督が大声で指示を出して子供達にプレーを細かく強制し、子供達を駒のように動かしているチームを時々見かける。子供達はベンチを見ながらプレーし、コーチに怒られないように一生懸命に動いている。"操り人形"みたいに。


(日本の)小学生の子供達は、大人が大きな声で怒れば、黙って言うことを聞く子がほとんどだと思う。怒られないように大人の言う通りに体を動かそうとする。


たけど大声で怒鳴っても、動くのは子供達の"体"だけで"心"はそう簡単には動かないし、そういうチームは肝心な所でパフォーマンスを発揮出来ずに勝ちきれなかったりする。


「コーチに怒られないように頑張る」

「サッカーが好きで勝ちたいから頑張る」

「僕を信じてくれるチームメイトやコーチのために頑張る」

「いつも応援してくれるお父さん・お母さんのために頑張る」

「ライバルに勝ちたいから頑張る」


目の前にいる子供達の"心"はどんな時に動くのだろうか?

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